ふじメディカル指導監督医Dr.駒井の、あったかい心温まるブログです。
リニューアルしました!!
<< September 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| | - | - | - |
わたしの宝

私の宝

一組の老夫婦がいた。夫Aさんは四十年 の長きを国の公僕として全うし、数年前に退官、そのことを余生の生きがいにしていたが、再発の不安を抱えたガンの患者であった。

息子夫婦に母屋を譲り、二人は離れの一室に暮らしていたが、妻が脳血栓に倒れた日、Aさん夫婦はそろって入院、隣り合った病室に身を横たえる日々を余儀なくされてしまった。

 私がA夫人の病室を訪ねたある時、隣のベッドに寝ている初老の患者さんがしんみりとした口調で、「先生、この方のご主人、本当に温かい人なんですよ。夜ねる前には、必ずこの部屋に来て、奥さんの様子を見ていくんです。奥さんが眠っている時は、じっと顔をのぞきこみ、髪の毛を撫でて黙って部屋を出ていくんですよ。」

 そこへ、Aさんが入って来て、「こいつは私の宝です。こんなクシャクシャばあさんだど・・・・・」と照れる様子もない。

 入院した時に、「私は酒を飲むことと、仕事をすることしかしてこなかった。家の事はみんなこいつにまかせっきり。でもみんないい子に育って。」と語っていたAさんの言葉を思い出す。

 夫人の亡くなった日、Aさんは 自分のベッドに正座してうつむいていた。私の顔を見て、老いた目から涙をこぼし頭を下げたが、言葉はなかった。
クローバーのイラスト1
 
その後、小康状態のAさんの退院の話が出た時、子供さんたちはみんな渋っていた。「帰ってきっても居る部屋がない。離れは子供部屋になってしまったので、もう少し待ってほしい。」というのが子供さんの言い分であった。

Aさんは「息子たちも大変だから。」と言葉少なく語った。どうにか退院できる事になり、庭先に作ってもらったプレハブの部屋で生活をはじめた一週間後、Aさんは心筋こうそくの発作を起こして急死した。夫人の死から二カ月後のことであった。

 小雨降る中お焼香に伺ったが、玄関脇には山吹の花が鮮やかに咲いていた。

先日、たまたまAさんのお宅の前を通りかかったところ、同じ場所に咲いている山吹の花の色を見て、あれからちょうど三年の月日が流れた事に気がついた。

| 10:53 | 診療室の窓から | comments(0) | trackbacks(0) |
両刃の剣
 

両刃の剣

 

洋の東西を問わず、古今を問わず、酒は私達の社会生活には欠くことのできない市民権を得ています。

 

酒は古来から、お神酒として神への供物でありました。酒に託して神の加護を受ける、酒をくみかわして人が神とお近くで語り合うという古代人の習しは、百メートルの海底下に五十数キロメートルのトンネルを掘り、列車を走らせる現代に至っても、いろいろな形で延々と受けつがれています。

冠婚葬祭はもとより、ちょっとした年中行事にも酒は隠れた主役であります。

 

我々の生活の中に、とっぷりと溶けこんでいる酒。祝い酒として万人を和合させ、

やけ酒として憂いを払う。はたまたわれわれは花見酒、紅葉酒、雪見酒などの風流を愛しています。
そして百薬の長。

 

この美味なるものがまかりまちがうと牙をむき出す、両刃の剣であることは

衆知のことです。

K氏は、りっぱな体格に似合わず、小さな声で静かな話し方をする人でした。

細かいことによく気づき、腰低く、時折り口の端に出てくる妻君への心配りからは、仲のよい夫婦、
幸せな家庭が想像できたのです。


ある時、妻君が私を頼って訪ねてみえました。夫が酒を飲んで暴れる、助けてほしい

という意外な話の内容でした。妻君のいうのには、夫は以前から酒好きで、毎晩、晩酌を欠かしたことがない、普段はおとなしい気持ちのやさしい人だけど、
飲むと怒りっぼくなるので余り
逆らわないようにして来た。

それでも仕事だけは休んだことがなかった。定年退職したころから、眠れないといっては、夜中にも起き出して飲み始めるようになった。

最近では飲むと暴れ出し、物を投げる、お膳はひっくり返えす、止めようとすると、私の髪をつかんで引きずり回わす、まるで別人のようになってしまう…:と妻君は震えていました。

 

 K氏は専門の医療機関で治療を受けることになりましたが、退院するとまた飲み始め、入退院をくり返えし、最近は肝臓も弱って来ており、仕事もしていないそうです。

 

「お父さんのお陰で子供達を一人前に育てられたんだから。」「こんな気の小さい人、見離せません。」と妻君は自分に言いきかせるように話していました。

 

ずいぶん老けたなあと妻君の顔をみながら私は、仕事好きだったK氏に、あの親しみ

深い笑顔が戻ってくることを祈らずにはいられませんでした。

    
           

 

| 16:12 | 診療室の窓から | comments(2) | trackbacks(0) |
Dr駒井の健康のおはなし
 
かわいいイラスト1


犬や猫をはじめとする哺乳類の寿命は、その成長する期間の約5倍と

言われております。

代表的哺乳類である私たち人間の寿命は、100から120歳はありま

す。

従いまして、65歳を超えたばかりの私は、まだ人生の道半ばであり

学ぶことがいっぱいあります。

そんな私の人生の先生は、三歩歩けば、

【ああ驚いた、ああ驚いた!】

と言っている好奇心あふれる子供達であります。


アンチエイジングと言う言葉が流行り、

サプリメントがいたるところに氾濫している今日この頃、


副作用がまったく無い最高のサプリメントを皆様にご紹介しましょう。


それは【感動と笑い】であります。

楽しく笑うと心がすっきりして元気がでるということは、誰でも経験済み

でしょう。


意識してこの健康薬【笑いと感動】を服みましょ

| 15:28 | ふじメディカル ホームページによせて | comments(0) | trackbacks(0) |
謹賀新年


新年あけまして
  おめでとうございます

今年も 健やかな一年でありますように

2011年  元旦  羽田沖からの初日の出

 

| 08:03 | - | comments(2) | trackbacks(0) |
リハビリテーション
 晩秋の柔らかな日差しに包まれたリハビリ室。

午後の訓練がもう始まっている。


所狭しと器具が並べられ、二十数名の、多くは年老

いた患者さんたちが黙々とリハビリに励んでいる。

 
 
平行棒につかまって歩行訓練をしている人。

滑車を使って麻痺した手を上げたり下げたりしてい

る人。

ホットパックを巻いている人。

指先の練習をしている人等々‥。

時々訓練士の大きな掛け声が響く。



そんなリハビリ室の入口近くに車椅子に乗ったまま

のSさんがいた。


無表情にみんなのやることを、ただ見ている。

いつもは率先してやっていた人なのに・・・・。


「どうしたの?」

返事がない。代わって訓練士が「もうリハビリはやり

たくないっていってるんです。


励まして何とかここまで連れてきたんですけど・・・。

車椅子からおりないんですよ。」


そして彼は私の耳元で「Kさんが亡くなられたでし

ょ。だから、がっかりしているんです。」と説明。


SさんとKさんは、入院中に知り合い、

仲がよかった。


半身マヒの似たような症状に加えて、年も近く、

また、お二人の生家が同じ町内ということも

あって、急速に親しくなったようであった。


トイレぐらいは人の手を借りないでいけるように

なりたい、というのも共通した二人の願いであった。


二人はよく車椅子を連ねて、ここにやってきていた。


「歩けるようになりたいっていってただろ、

がんばろうよ。」


と私が声をかけても、Sさんは


「なかなか歩けるようになんかなりゃしないよ。

歩けたところで、私ら、先がないんだから。」

と、とりつくしまがない。


隣で滑車を使っていたT吉さんがジロリとSさんを

見て、「いやなら、やらなきゃいい。」


Sさんは黙って、不器用な手つきで自分が

乗っている車椅子を操作しながら出ていって

しまった。

 
スタッフの根気よい説得が効いてか、その後

Sさんがまた、リハビリ室に戻ってきた、との報告を

受けたのは数日後であった。


それからまた、何カ月かが過ぎ去った。 
 


 と、そんなある日。スタッフの一人が、

「先生、Sさんが並行う坊につかまって歩いてます。

見てやってください。」と私を呼びに来た。


それまでつかまり立ちしかできなかったSさんが、

歩いたという。


「もう一度歩いてみせてくれないか。」


ゆっくり立ち上がったSさんは、左手でしっかり

平行棒に身体をもたせかけるようにして、右足を

引きずりながら体を数歩、前に移動させた。


それは歩くといえる程のものではなかったが、

体は確かに前に動いたのである。


「すごいなSさん、その調子だ」

私が大きな声を出した時、背後で拍手した者が

いた。


それは、いつも仏頂面をしてリハビリをしている

T吉さんであった。


十分には効かぬてを使っての拍手であった。


それにつられて、スタッフも、そして何人かの

患者さんも拍手に加わった。


はじめての不揃いな手ばたきがちょっとした

拍手の集団に変わった時、Sさんは笑っているような、

泣いているような顔をして、もう一度立ち上がり、

また数歩歩いてみせてくれたのである。





| 15:17 | 診療室の窓から | comments(22) | - |
ピン
 
                   ピ ン


人はだれでも、豊かに生きたいとねがっている。

でも豊かに生きることはどういう事なのか、

患者さんと接する毎日で、病気の苦しみ、痛みより、

もっと辛いのは働けないことのもどかしさなんだと

感じることが多い。

健康な私達にとってごく当たり前のことが、病人にとっては、

痛切な願いなのだ。

けれど、働けるということだけで豊かにいきているといえるだろうか。

体に病気がないという事と健康であるという事とは必ずしも一致しない。


ある時四十代の女性が診察室を訪れた。彼女は私に肩が

凝って体がだるいのだと訴えた。

診察の結果、身体的には特に異常がないようであったが、

どこかに体の不調の原因があるはずだ。

問われるままに彼女が私に話してくれたところによると、マ

イホームのローン返済のために内職をしている。

働かなければ家計は回らないが子供が小さいので外に出

られない。

一日びっしり八時間内職しても自分のものなどほとんど買え

ないというのだ。

家を建てた時は、自分の家が出来たとうれしくてはしゃいで

いたが、今は家がにくらしくさえ感じてしまう。

家の中にいると息苦しくなる事さえあるという。


また、四十代のある男性は、何日も食欲がないということ

と、寝つきの悪いことを訴えて来院した。

身体も大儀で何をしてもおもしろくない、最近は好きな釣り

にも出かけなくなった・・・・・と。

諸検査をしたが 、やはり身体の異常はなかった。

「何か心配は」と訪ねたところ「おはずかしい話ですが」と話し始

めた。

彼は長年、会社の経理を担当していた。

経理の腕にかけては自負があった、という。

 ところが会社の合理化で突然営業ににまわされ、自分より

力が落ちると思っていた後輩がそのまま経理に残っている。

自分は慣れない営業の仕事をこの年になってやらされてお

り、女房は、「お父さん、会社やめてもいいのよ」と言ってくれ

るのだが、今から出直して同じ給料くれるところなんかない

ですよ、と一段と声をおとし話してくれた


 一人の人間をとりまくひとつの人間ドラマ。聴診器を当てる

だけでは聞こえてこない人間の

本音。現代の世の中に存在する無数のピン。

確かに医者は患者の病気を治すのが使命である。が投薬

や注射などの直接的治療だけではとうてい治すことのでき

ないものがある。

患者さんの心の奥に潜むピン・・・・・。

そのピンは、簡単には取り除けない程に、社会の機構は複

雑になっているのだろう。

が、それをひとつひとつ根気よくとりのぞいていくことができ

たら本来の人間の姿、豊かに生きることを回復することがで

きるのだろうが・・・・・。

二人の患者さんは、それぞれが、話を聞いてもらっただけで

少し気分がよくなったという意味の言葉を残して帰っていかれた。

    

| 14:33 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
やさしさに出逢う
 傾きかけた冬のこもれ陽が、閉ざされた白いカーテンのすきまをぬっ

て、まだ明りをつけるには少し早いその病室にさしこんでいた。

その前を通り過ぎようとしていた私は、小さな男の子が部屋の真中に

置いてあるベッドに寄りかかるようにして立っており、盛んにその小さ

な手を動かしているのに気がついて入っていった。

軽い寝息を立てながら眠っている病人の白いフトンの上には、

きれいな色の小さな折り紙が数枚、散らばっていた。



「何をおっているんだい。」と私は聞きかけて言葉をとめた。

よく見ると、それは苦心の跡をあちこちに残した折り鶴にちがいなかったからである。

男の子は、黙ったまま、それを膨らまそうとして両手でひっぱりながら口元に近づけた。

ビリッ!「あーあ破れちゃった。」

名残惜しそうに、しばらくつなぎ合わせる手つきをくりかえしていたが、

やがて諦めて、破れた折り鶴をベッドの上に投げだすと、私の顔を見

上げた。

紅潮した顔がかわいい男の子であった。

「おじいちゃんのお見舞い?」

「うん」

「おかあさんは?」

「おじいちゃんの買い物にいった。」

「おじいちゃん寝ているね。」

「さっきまで起きていたよ。」

「喜んだかい、君の顔見て。」

「よくわからない。」

壁の絵を指さして「これ君が書いた絵?」

「うん、おじいちゃんの顔。」

私が、クレヨンで描かれたその似顔絵のことに触れると、

痴呆が進行し、表情が乏しくなっているこの患者さんの顔は、

きまってほころびるか、涙を流しはじめるのを私は知っていた。

メガネとしわに子供らしい苦心のあとが見えて楽しい絵である。

「おじいちゃん早く元気になるといいね。」

「ううん、おじいちゃん、寝てていいんだよ。」

その子はベッドの傍らでピョンピョンはねはじめた。

「あのねぼくおおきくなったらおじいちゃんみたいになるよ。」

「ねたっきりはつまらないだろう。」

「つまらなくないないよ。おじいちゃんはね、いっぱい働いて来たんだっ

て。いっぱい働いたから今はゆっくり休んでいるんだって。

お母さんがそういってたよ。だから、おじいちゃんは、寝てていいんだ

よ。」

「じゃあ、今のおじいちゃん、幸せだな。」

「そうだよ。」得意顔である。

慣れて来たのか、その男の子は、私の傍らに来て、ピョンピョンと跳ね

た。

















初冬の早い日没で、うす暗くなって来た病室に、老患者さんとその孫を

残して、私はそこを離れた。

私と入れ違いに入っていった若い看護婦さんの明るい声を背にしなが

ら・・・・・。
| 15:54 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
病気
 「やまだOおさーん」と呼ぶ看護婦の声で先に入って来たのは、紫色

のスーツがよく似合う目のクリッとした色白の女性であった。

続いて濃紺の背広にその長身を包んだロイド眼鏡の紳士が静かな

足どりで入ってきて、私の前の丸い椅子に腰をおろした。

眉毛の濃いその紳士は顔つやもよく、一見患者さんには見えない。

カルテには山田〇夫、42歳とある。

短い挨拶の後、「妻です」と傍らの女性を紹介した。



私は看護婦がそっと脇から差し出した、たった今、自現機から出てき

来たばかりの、つややかに光っているレントゲンフイルムを一枚一枚、

机の前のシャーカステンにはさんでいった。

傍らの夫婦の視線を肩に感じながら・・・・・。

はりつめた空気が漂う中で、すべてが静かに型どおりに進んでいく。

私の目はフイルムの隅から隅までせわしなく動きまわった。

アイルランドの荒野で猟犬が獲物を探しまわっているかのように・・・・・。

静けさの糸が切れた。

ある、あった。胃ガンだ。


フイルムの名前とカルテの名前をもう一度確認した。

光っている黒いフイルムの向こうでロイド眼鏡の血色のいい顔が、み

るみる内に、ぼちぼちとまばらなひげの、頬のくぼんだ顔に・・・・・。

目ばかりがギョロギョロしている。

そして体にはふだん着のワンピースがまとわりつき、

眼の下にクマの出来た奥さんの顔・・・・・。



シャーカステンから、このきちんとした身なりの中年夫婦に視線を移す

のに、この一瞬の間に、私は誰にも分からない所で、また一つの人生

が崩れていく音を聞き、疲れた。

いともさりげなく、なごやかに、手術を要する旨を告げられたお二人

は、深々とおじぎをされて出ていった。

戸口の所で、奥さんは、ためらうように立ち止って私の顔を見つめてい

たが、そのまま何も言わずにそっとドアを閉めていかれた。

看護婦が次の患者を呼び入れるのを制して、私は両膝にグッと力を入

れて立ち止った。

はた目には、白衣を着た医者が静かに机を離れたにすぎないのだが、

私の中には、よろけそうになる自分があった。

私は願いをこめて自分に言いきかせた。

「いやいや手術はうまくいくに違いない。

薬は予想以上の効果をあげるかもしれない・・・・」

机の脇の白い洗面器。

音もなく私の手にからみつき、そしてゆれる消毒液の中ガーゼ。

その横に積み上げられた医学雑誌の上に置かれている

シクラメンの鉢。

それは昨日のままだった。
| 10:56 | 診療室の窓から | comments(0) | trackbacks(0) |
やさしさに出逢う
 やさしさに出逢うは、ふじメディカル検査室の指導医をさ

れている駒井 實先生が折々に

書き綴ってきたものの一部を1冊の本にしたものです。

何気ない日常のやすらぎや、感動を大切にしたい。

どんな時にもキラリトひかるものをかんじていたい。

そんなおもいがやさしさとともにいっぱいつまっています。

健康であることの大切さ、幸せを感じて頂けたらの思い

を込めて紹介しています。


さくら子
| 11:16 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
父親ばんてん
 








         

赤いはんてんを着たその女の子は、やっと

お誕生日を過ぎたばかりという小さな手を

母親の体に巻きつけて、両足を踏ん張って

泣いていました。

「ママァー、ママァー」と大きな泣き声の間から

聞き取れます。

「恵ちゃんや、恵ちゃんや。」と、名前を

呼びながら、母親は幼い娘に身をまかせて

笑っていました。


そんな母親の心の中を測り知る事は出来ません

でしたが、何となく場違いな笑い顔のように私は

思えました。


母親は心をやんでいたのです。 

入院中だったのです。

こんな母子の周りでオロオロと娘をなだめる傍ら

の若い父親。

とうとう泣きくたびれて眠ってしまった娘を、

大きな体で包むように抱きかかえながら

父親が病院をあとにしたのは、それからしばらく

経ってからでした。



私がまだ若かった頃臨時にある病院の当直を

頼まれていた頃の忘れられない情景です。

私も当時は父親になったばかりでした。


母親の入院はその後一年にも及びましたが元気

になって自宅に戻っていきました。



十余年経って私が小さな男の子をつれた

その父親に再び出会ったのは別の病院の

診察室でした。

全くの偶然で、でも父親は私を憶えていてくれまし

た。

「あーあの時の・・・・」

父親の顔は私に体じゅうで泣いていた

赤いはんてんの女の子をよみがえらせて

くれました。

「中学生になりました。」と父親。「奥さんは?」

その後一度再入院したが今は通院しながら元気

に家業を手伝っている、あれから二人の息子にも

恵まれた、と診察をおとなしく待っていた

男の子の頭をなでながら報告してくれました。


幾分年輪の刻まれたその顔は笑っていました。

だが父親はまもなく他界してしまったのです。

私が再会した時にはすでに、腹部にかなり大きな

塊を持っていたのです。

息子の診察が終わったのを見計らって「自分も

この頃調子が良くないから。」とおまけのように

診察を受けた結果でありました。

夫の闘病、そしてその死にもかかわらず自分の

病気を悪化させる事なく乗り切った母親は、

三人の子供達と共に婚家を離れて生活を始めた

と聞いています。

母子四人、離れ離れになることなく、今も元気に

暮らしているのでしょうか。

赤いはんてんを着ていたあの女の子は、もう中学

を終えている年ごろだと思います。















 




 

| 11:17 | 診療室の窓から | - | - |